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[あなたのハワイ進出の第一歩]ハワイと日本で、仕事も遊びも。

ハワイ進出 実現者の経験からのアドバイス

東大卒・イエール大学留学、ボストンコンサルティングから経営者に。輝かしい経歴の持ち主がハワイ移住した理由とは!?

[ハワイ進出した実現者インタビュー]Yusuke Yasokawa (八十川 祐輔)Mycare Hawaii Inc 代表   東京大学の建築学科を卒業後、設計事務所に就職し建築設計士に。 その後、イエール大学 ビジネススクール留学を機に、ボストンコンサルティンググループ、そして、証券会社・食品スーパーの経営者に。 自ら経営コンサルティング会社を設立し、日本企業の社外取締役や経営コンサルティングを行なっている。 なんとも輝かしい経歴の持ち主のYusukeさん。 正直、このような経歴の持ち主が、このような理由で、ハワイ移住した方に初めて会った。「日本での仕事がどんなに多忙でも毎年のハワイ旅行には来ていました。 とにかくハワイの空気と夕陽、これが僕の大好物だったんです。 そして、 “この夕陽を毎日見ながら暮らしたい!” とある日に思っちゃったんですね! その時に夕陽を見ながらハワイに移住すると決めました。」 とすごく自然に何気なく話すYusukeさん。     まずは、ハワイで買収企業をリサーチから 「決心してから、すぐにハワイの企業買収を考え、候補先を自分なりに探し始めました。 仕事柄もありますが外から見ていて何となくこれは面白そうだし伸ばせる!? って感じられるんですよ。 日本人オーナーで売却希望しているビジネスをいくつか知人に紹介してもらいオーナーに会いに行きましたが、どれもピンと来るものがなかったんです。 その後、知人からラニカイジュースを教えてもらい、ハワイ在住の留学時代のクラスメイトに頼んでオーナーにアポをとってもらい会いに行きました。 最初は、日本でのフランチャイズ展開に興味があるかと聞くところから始めて、何度も会ううちに信用してもらい、オーナーの引退後の夢なんかを聞いているうちに経営を引き継ぐ話になっていきました。 割とじっくり時間をかけて信用してもらうことから始めた感じです。」経営を熟知し、英語も話せる。...

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ハワイでウクレレに出会い、生き方を見つめ直し、世界一のウクレレ屋さんを目指す!

[ハワイ進出した実現者インタビュー]Kenichi Nishimoto (西元 健一)ウクレレぷあぷあ 代表   シェラトンワイキキに店舗を構える「ウクレレぷあぷあ」のオーナー Kenichiさんは、ハワイ在住36年になるハワイ移住実現者の大ベテラン。 とにかく、サーフィンがしたくてハワイに来たのが、ハワイ生活の始まり。「僕は1989年にハワイに来ました。 サーフィンがしたくて・・・(笑)。 高校生の時の先輩がサーファーで、たまたま連れて行ってもらったんですけど、完全にハマっちゃったんですよ。 “サーフィンのゴールは、やっぱりハワイだ!” なんて思って、21歳の誕生日はハワイで迎えてました。 学生ビザを取れば5年間はいられるらしいと聞いて、一人で留学斡旋業者さんのところに行って、学生ビザをとってハワイに来ちゃいました!」 と話すKenichiさんは、本当に笑顔が似合う、そして、いつも笑顔を絶やさない体の大きいおじさんという感じでとてもチャーミング。「語学留学として学生ビザを取り、学校とサーフィンの毎日。 いや、学校じゃなくて海・・・(笑)。 そして、ハワイに来て2年目にグリーンカード抽選プログラムができ応募したら、なんとグリーンカードをゲットしちゃいました! 周りの友人はみんなハズレ、僕ともう一人が当選しちゃいました。 なので、学校は即やめ! だってビザのための学生だったので、グリーンカードが取れたら必要ないですからね(笑)。 早速、仕事を探してワイキキのラーメン屋さんとお寿司屋さんで働き始めました。 時給に加えチップももらえるし最高でした。 ビザの心配から解放されて、仕事もできて、毎日サーフィンという生活は、当時の若い私にとって本当に最高でしたよ。」     気がついたらハワイで起業!? 「2年くらい経った頃、日本の知り合いからハワイで “◯◯◯を買って、日本に送って欲しい” と頼まれることが多くなってきたんですね。 そこで、仕事をやめてワイキキにオフィスを借り、ハワイで仕入れたものを日本に送ることを仕事として始めたんです。...

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ハワイの空気やエネルギーを感じて、毎日を一生懸命生きる。 これが最高のハワイライフ。

[ハワイ進出した実現者インタビュー]Takashi Nakayama (中山 孝志)Ocean Wind Realty, LLC dba. Kujira Club, President   1995年に日系の不動産会社の駐在員としてハワイに来たTakashiさん。 当時は特にハワイへの憧れや、ハワイに住みたいとは思っていなかったという。 そして、駐在員として4年が経ったころに長男が誕生。 これが彼のハワイと関わる生き方に繋がる転機になった。     ハワイ永住の決断は、素晴らしい子育て環境 「実はもともとハワイへの憧れやハワイに住みたいという気持ちはありませんでした。 たまたま当時の会社からハワイ支社の駐在員としての辞令が出てハワイに来たんですが、次はアジア圏の支社勤務の話が来ないかな...なんて考えていました。 しかし、長男が生まれて、ハワイの幼稚園をいくつか見て回ったのですが、ダウンタウンの幼稚園の見学に行った時、園児たちがみんな笑顔で、裸足で駆け回っていたんですよ。それを見て、やっぱりハワイで子育てしよう!と思ったのが、今でもハワイにいることになったきっかけでしたね。」 と話すTakashiさんの優しい笑顔が印象的だった。そして、駐在員として勤めていた会社からヒルトンに転職。 ちょうどヒルトンがタイムシェアを始めた時だった。そのヒルトン・グランド・バケーションズに約10年間勤務したのちに独立し、現在のKujira Clubを起業した。今ではハワイ在住30年近くになるハワイライフのベテランだ。     コロナがきっかけで、サーフィンの虜に Takashiさんの日常は、朝起きたらまず散歩と筋トレ。そして、シャワーを浴びてから読書と日記をつける。 朝食は食べず1日2食。...

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ハワイのもつ心・空気を感じると、きっとハワイの神様が 幸せな人生をプレゼントしてくれる

 [ハワイ進出した実現者インタビュー]Makoto Uchino (内野 亮)タレント TV番組「ハワイに恋して!」のナビゲーター、ラジオパーソナリティ、ハワイイベントでのトークショー、地方を巡りハワイの啓蒙活動、そして執筆活動など、ハワイを伝えるタレントとして人気のMakotoさん。 最初にハワイに来た目的は、もっとサーフィンが上手になりたいというサーフィン修行だったそうです。「僕がサーフィンをするためにハワイに来たのは20歳の頃。とにかくサーフィンが上手くなりたかったんですよね。 当時のハワイに、日本人の若者がサーフィンをしに来ている人はまだほとんどいなかったと思いますね。 そして、英語も話せない小僧が頼れる人は誰もいなかったんですよ。」 そう語る彼から、単身でのハワイ生活のスタートは決して楽しいだけのものではなかったのだろうと感じられた。「毎日、海に入りサーフィン一色の日々でした。 でもハワイの海の中はまだまだ閉鎖的。 ローカルサーファーたちは若輩日本人の僕には非常に高い壁に感じられたのも事実でしたね。 それでも毎日サーフィンをしてると、同世代のローカルの友達が増え、仲良くしてもらい、ある時、勉強もしてみたくなった。 いや、やはり勉強もしなくちゃ! って感じで、とりあえず、英語の学校に行き始めました。」     サーフィンだけの毎日からハワイの大学生に 「英語学校の先生から、シャミナード大学を勧められて学生生活がスタート。 想像以上に楽しかったですね。 でもハワイ、いやアメリカの大学は、入ることよりも卒業することがめちゃくちゃ大変。 日本とは逆なのかなぁ? とにかく宿題の嵐! 到底終わらない(笑)。 毎日勉強の日々で、これまでのサーフィン一色の生活から逆転しちゃいました。 でも楽しかった!」ハワイの大学生となり、勉強づけの日々ながらサーフィンもちゃんと毎日していたというMakotoさん。 サーフボードよりも鉛筆を持つ時間の方が長くなったのは事実だったようだ。     ハワイで学生からホテルの営業マンに! 「どうにか無事に大学を卒業でき、ハイアットに就職しました。...

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ハワイを拠点に世界へ日本の飲食の素晴らしさを発信していきたい。

  [ハワイ進出した実現者インタビュー]Shohichi Nakatani (中谷 翔一)Waena Pali, Inc CEO (和食レストラン「心玄 Shingen」) ハワイに25歳から移住し、飲食業を経営して10年目に突入したShohichiさん。 両親がハワイ大好きで、3歳のときにはすでにハワイに旅行で来ていた。 そんなShohichiさんがハワイに惹かれたのは必然だったのかもしれない。 そして、人生の転機は高校3年生の時に訪れた。「父が自身で経営する会社を売却し、プチリタイア生活に入ろうとしていました。 その時、父は念願だったハワイの別荘を購入したんです。 そして、せっかくハワイに家を買ったのであれば、何か事業もスタートしたいと考えました。 それが旅行でのハワイではなく、第2の故郷としてのハワイに変わった瞬間でした。」 ハワイとゴルフが大好きな両親のもとで育ったShohichiさんにとってハワイは特別な場所ではなく、当たり前の場所になっていったのだ。     「会社をたたむぐらいなら自分にハワイを任せてほしい!」と決意 「僕が大学を出て就職して2年目に、ハワイの店を任せていた人間が仕事を辞めるといい始めて、僕が後を引き継ぐか、会社をたたむかの2択を迫れたんですよね。」  高校生の時にハワイで父親がビジネスをスタートしたShohichiさんにとって、将来それを引き継ぐものと思っていた。 そのために早稲田大学で経営を勉強し、卒業後に飲食ビジネスのベンチャー企業で飲食店経営のノウハウを学んでいた矢先の出来事だった。 ハワイの事業が終わってしまうのは自分の人生計画から外れてしまうと思い、「会社をたたむぐらいなら自分にハワイの事業を任せてほしい!」と決意したという。   ハワイは日本と全く違う! 他国であることを実感させられ、苦労と苦悩の連続の日々 「父がビジネスをスタートし、初めてオープンしたのがアパレルショップでした。 その後がお弁当屋さん。...

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英語を話せるようになり、ローカルコミュニティに入る。やりたいことはその先に実現できる。

[ハワイ進出した実現者インタビュー]Takaho Iwasaki (岩崎 貴帆)WAAP PARTNER 起業支援のプロ ハワイに住み、日本とハワイのスタートアップ企業をつなぐ仕事をしているTakahoさん。 九州 鹿児島生まれで、東京に出て大学を卒業後にO Lをしていたが、会社を辞めてMBAを取るためにハワイ大学に留学。 それがハワイと関わる新しい生き方の始まりとなった。   アメリカ人になりたかったんです・・・(笑) 「いつかアメリカに住みたい。ではなくて、アメリカ人としてアメリカに住みたい! そう思ってたんですよ」と笑顔で話すTakahoさんは、とても明るくチャーミングな女性。 「ろくに英語も話せない。アメリカの文化も知らない。アメリカに行って就職もできない。それなら、MBA取得を目指して勉強することが1番効率的だと思ったんです。 英語もビジネスも同時に習得できちゃうし、MBAを持っていたらアメリカでの就職にも有利だって聞いたし・・・これだ!って(笑)」MBAを取るために頑張っている人はたくさん知っているが、Takahoさんのように「アメリカ人になりたい」という理由でMBAを取得した人には初めて出会った。     言葉・文化・商習慣の違いは想像以上 MBA取得後に自然な流れでアメリカのスタートアップを起業するような人たちと友達になり、彼らの相談役になりながら、さまざまなサポートをしていた。 その時に、「ビジネスモデル以前に、やはり言葉や文化、商習慣の違いというものは想像以上に大きな弊害で、それは日本人もアメリカ人も同じだ。」と感じ、その橋渡し役になれたらという思いから、スタートアップの起業支援を始めたという。 その後、ハワイで出会ったローカルの旦那さまと結婚。 「気がついたらハワイに住んでいて、実は私はハワイに住みたいって思ったことは一度もなかったんですよね。」 とハワイ移住者としては珍しいケースかもしれない。そんなTakahoさんは、今ではハワイの州政府や銀行からの依頼で、さまざまなハワイ企業の日本進出のコンサルティングをしたり、またハワイの日本領事館からの依頼で、日本のスタートアップ企業をハワイに紹介する仕事などでも活躍している。     ハワイの自然は宝物、ローカルコミュニティとの繋がりも宝物  「ほぼ毎日、日本とのオンライン会議があり、どうしてもハワイの夕方から夜の時間に仕事をするので、朝は弱いんです。でも夕方に主人と近くの公園を散歩したり、走ってみたり。アラモアナビーチパークでのウォーキングはめちゃくちゃ気持ちいいんですよ。」 旦那さまとの共通の趣味はゲームとアニメで、夜型インドア派の二人。気がついたら外に出てウォーキングをしている自分達に驚いているという。これが本当のハワイの魅力なのかもしれない。「ハワイはアジア人に優しく治安も良い、綺麗で臭くないし、日本にも近いので時差のバランスも良い。そして、なんといってもハワイの空気や自然は宝物。...

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住む土地に馴染み、その土地の人と仲良く、ハワイに感謝する気持ちが大事

[ハワイ進出した実現者インタビュー]Maya Kudo (工藤まや)WAAP TEAM ハワイのインフルエンサー ハワイ在住コーディネーター・インフルエンサーのMayaさん。 初ハワイは大学生の時に留学生の引率役でマウイ島に、そして、卒業旅行でオアフ島を訪れ、その時からハワイは憧れの場所になった。 その後、日本で知り合ったアメリカ人の旦那さまと結婚後、日本語と英語を使って仕事ができる場所としてハワイに移住。「はじめは日本人経営のコーディネーション会社に入り、アシスタントから仕事を学びました。その後、フリーになってからは、自分の好きなものを中心に手がけるようになり、執筆のお仕事もさせてもらっています。 取材先の方と信頼関係を築き、親しい間柄だからこそ引き出せるお話を交えて、私の目線で発信しています。」 移住当時はハワイに知り合いが一人もいなかったというMayaさんはコーディネーターの仕事をしながら、着実にローカルのネットワークを増やしていったという。 今では、日本の雑誌、TV、CMなどのメディアコーディネーターとして活躍し、ハワイのオシャレスポットや最旬スポットをセンスよく紹介するインスタグラムや書籍も人気のインフルエンサーだ。     海中世界の魅力の虜に 趣味は日の出前から出かけるフリーダイビング。 「コーディネーターのお仕事をさせてもらったことで、本当にハワイには詳しくなりました。 でも、陸のことは大体わかっても、海の中の世界は全く知らなかったことに気づいたんです。」 そんな時に友達に誘われて行った、シュノーケルと足ひれだけの素潜りで、すぐに海の中の世界の魅力の虜になったという。 「海の中の地形や生き物たちは、本当に綺麗! そして、海に潜っていると幸せを感じることができ、本当に気持ちが良いんですよ。」そして、海上がりのがっつりプレートランチが最高に美味しいというMayaさん。最近のオススメは、カリヒにあるシティ・スクエアというショッピングセンター内にある驚きの店名「SUGOI」のガーリックフライドチキンがお気に入り。 カラッと揚がっていて衣はサクサク、中はジューシーで、蓋が閉まらないほどの量に思わず「すごい!」と言ってしまいます(笑)     ニイハウ島に行ってみたい 仕事柄もあり、ハワイの島々には何度も足を運んできたが、まだニイハウ島には行けていないという。 「今、実現したいことは、ニイハウ島に行ってみたい! これまで何度かチャンスはあったんですが、まだニイハウ島だけ行けていないんですよ。」 ニイハウ島は、ハワイ諸島の主要8島の中で2番目に小さく、最西端にあり、カウアイ島と並んで最も古い島だ。ハワイ在住者の多くは、都市と自然のバランスが良いオアフ島に住み、バケーションでマウイ島やハワイ島へ大自然を満喫しに隣島に行くという人は多いが、ニイハウ島というのが、歴史や文化など古き良きハワイをベースに最新ハワイを発信するMayaさんらしいと感じた。    ...

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友達とBBQをしながら、庭でゆっくりと一日を過ごす。 最高に贅沢なハワイライフ。

[ハワイ進出した実現者インタビュー]Patrick McCullough (パトリック マッカラ)WAAP TEAM コーディネーションのプロ ハワイ在住のコーディネーター、パットさん。 NY生まれで、青春時代はサンディエゴで過ごした。転機が訪れたのは25歳の時、「漠然と海外で仕事をしたいと思っていた時に、たまたま友人が日本で英語の先生をしていて、その友人から声がかかり、英語の先生として日本に行くことを決めたんだよ。」 日本での生活をしながら日本人の奥様と知り合い結婚。 その後、英語と日本語を使いアメリカで仕事をしたいと思うようになり、1999年に奥様と一緒にハワイに移住。 「当時は、ハワイに知り合いは一人もいなかったが、英語と日本語を使う仕事ならニューヨークやロサンゼルスより、やっぱりハワイが1番かなと決めたんだ。」     英語と日本語を使える仕事として選んだのは 「コーディネーター」 「ハワイで英語と日本語を使える仕事をしたかった」というパットさん。 始めた仕事は「日本人向けのコーディネーター」だった。今では、日本企業のハワイでの撮影やイベントなどのコーディネーターとして活躍している。クライアントとは日本語で話し、ハワイでの様々なコーディネートはローカルの人々と英語で話す。 単なる通訳ではない言葉の必要性にやりがいが感じられるという。「この仕事をしていてよかったことは、日本人との新たな知り合いが増えることもそうだけど、本当にハワイの様々な場所や人との接点を作れること。 そして、ハワイローカルのルール・規則・慣習・価値観などを身を持って知れること。 これは特にハワイを知らなかった僕には大きな財産だよ。」     休日は庭でBBQをしながら、友達とゆっくりと一日を過ごす 仕事がら平日休日の区別はなく、朝は毎日6時くらいに起き、犬を連れて散歩。 「家を建てたので、最近は少しずつ家の居心地をよくしたり、庭いじりばかりしてるかなぁ」と愛犬の散歩と庭いじりが日課というパットさん。仕事が休みの日は大好きなサーフィンに行ったり、友達をよんで庭にあるマンゴツリーの下でBBQをしながら、一日をゆっくりと過ごすというハワイらしいライフスタイル。 「今一番好きなものはラウラウ。奥さんが料理上手だから自分ではあんまり料理はしないんだけど、ラウラウは自分の好みで少しチリペッパーを振りかけて自分好みの味を作り、食べることにハマってる(笑) 最高に美味しいよ!」 ラウラウとは、​​肉や魚をタロイモの葉で包み、さらにティーの葉で包んでから蒸し焼きにする古くから伝わるハワイの伝統料理のひとつだ。    ...

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