大人のサーファーを増やしたい! ハワイローカルに愛されるサーフショップを作った日本人
[ハワイ進出した実現者インタビュー]Toru Yamaguchi (山口とおる)Surf Garage 代表 お祖父さんが進駐軍の通訳をしていたこともあり、幼い頃からアメリカを身近に感じ、ずっとアメリカは憧れだったというToruさん。 「子供のころに目にしたアメリカのTVドラマでは、外人さんたちは靴のまま部屋にいる。羽根の生えたでっかい車とか、なんだか全ての洋物がカッコよく見えましたね。 親戚が進駐軍の通訳の仕事をしていたこともあり、僕も将来はアメリカと関わる仕事に就きたいと漠然と思っていました。」「父が大好きだったスキーを3歳の時に初めてやったんです。僕もすぐにスキーにハマったらしく、それからは競技スキーをやってきました。そんなこともあり海外への憧れもあったので商社に就職したんですが、なんか違うと感じてたんです。そんな気持ちに気がついたのか、ある日会社の先輩からマリンスポーツ関連の会社を紹介されて飛びつきました。」と彼が選んだ仕事は、マリンスポーツ関連の商社でした。 冬はスキーで、夏はサーフィンのスポーツマン 「初めてのサーフィンは高校1年生の春だったかな。12歳年上の叔父さんがサーフィンをしていて、乗ってる車はワーゲン ビートル。当時の僕にはキラキラのおじさんでした。そこから、夏はサーフィン、冬はスキーの生活に変化したんです。シーズンスポーツ系のチャラい若者に思うかもしれませんが真逆で、かなり硬派なスポーツマンだったんですよ。」「だから商社の先輩からマリンスポーツ系の会社を紹介された時には即飛びつきました。今思えばあのタイミングが僕の人生を決めたんですかね。スキーではなくサーフィンに。日本ではなく、ハワイのマウイ島に勤務することに。」と、転職した会社がハワイ マウイ島に支社があり、彼はGMとしてマウイ支社勤務で ハワイに移住することになったのです。 夢のハワイライフのスタート、ところが現実は!? 「社長からマウイ支社に行ってくれ、と言われた時は正直嬉しくてワクワクでした。当時のマウイでの仕事は、ホテル、レストラン、アートギャラリーや不動産などを手がけていました。今考えればバブルの産物のような日本人経営の会社。ワクワクで移住し、やる気満々でしたが徐々に現実が明らかになってきたんですね。一言で言うとバブルのお金でマウイに飛び込んできた日本企業がローカルにあしらわれていた感じです。日々ありえない現実が露呈し、対処していく悪夢の日々でした。しかし、おかげでハワイでビジネスを立ち上げる時には十分すぎる経験をさせてもらったんですけどね。」彼から聞いた話はここに書ききれないくらいの様々な出来事がありました。当時31歳で、さぞ驚きと不安、そしてまだ言葉も十分に使いこなせなかった彼には心細い時間だったであろうと想像できます。 起業時の想い通りに、ローカルに愛されるサーフショップに マウイ島勤務の後、オアフ島支社を設立。しかしすでにグリーンカードを取得していたToruさんは退社し、2002年にSURF GARAGEを開業したのでした。「自分でビジネスを始めようと考え、最初はハワイ雑貨を日本に輸出するようなこともやりました。日本がハワイブームで大忙しでしたが、そんな中でも、自分には何ができるのか?何をしたいのか?といつも考えていました。ある日、ワイキキにあるサーフショップの前を歩いていて、ふと思ったんです。 “大人向けのサーフショップを作ろう! 日本からハワイに来た人たちに安心してハワイでサーフィンできるような役割も果たしたい!” と思ったんです。だからお店の場所もワイキキじゃなく、モイリイリを選んだんです。」2002年にオープンしたSURF GARAGEは20年以上の時間をかけてローカルにも愛され、ハワイサーフシーンからも一目置かれるサーフショップとしてその地位を確立している。そして、立ち上げ時の想い通りに大人に愛されるクラシックスタイルのブランドとして成功を納めたのです。 毎朝のサーフィンで、その日のエネルギーを充電...