[ハワイ進出した実現者インタビュー]
SEIZO HAYASHI (林 誠三)
Visual Systems Inc / President
SEIZO HAYASHI (林 誠三)
Visual Systems Inc / President
ハワイへの移住を夢見る多くの人にとって、その土地は憧れのリゾート地であり、誰もが理想とする暮らしを思い描きます。しかし、実際に移住を果たした人たちの背後には、さまざまなストーリーがあります。 今回インタビューした山口県出身のSeizoさんも、その一人です。
Seizoさんのハワイ移住は、彼自身の決断ではなく、家族によるものでした。 「18歳の時に父親がハワイに移住すると決めました。当時の僕は大学受験を避けられるな、という軽い気持ちで、ハワイに行きたいという強い希望があったわけではなかったんです」 と当時を振り返ります。 彼の父親はハワイ出身で、叔父が経営するホテルをサポートするために、家族でハワイに移住したのです。
ハワイに到着後、彼はまず英語の壁に直面しました。 「当時、英語は全く話せませんでしたから、まずは英語学校に通いながら、ホリデーマートというスーパーでアルバイトをしていました。スーパーで働く中で、少しずつ英語に慣れていきましたね。」 18歳の若さで異国の地に飛び込み、アルバイトをしながらの勉強という挑戦は決して簡単ではありませんでしたが、彼はコツコツとその壁を乗り越えていきました。
Seizoさんのハワイ移住は、彼自身の決断ではなく、家族によるものでした。 「18歳の時に父親がハワイに移住すると決めました。当時の僕は大学受験を避けられるな、という軽い気持ちで、ハワイに行きたいという強い希望があったわけではなかったんです」 と当時を振り返ります。 彼の父親はハワイ出身で、叔父が経営するホテルをサポートするために、家族でハワイに移住したのです。
ハワイに到着後、彼はまず英語の壁に直面しました。 「当時、英語は全く話せませんでしたから、まずは英語学校に通いながら、ホリデーマートというスーパーでアルバイトをしていました。スーパーで働く中で、少しずつ英語に慣れていきましたね。」 18歳の若さで異国の地に飛び込み、アルバイトをしながらの勉強という挑戦は決して簡単ではありませんでしたが、彼はコツコツとその壁を乗り越えていきました。
ハワイから本土へ、そして再びハワイへ
Seizoさんは大学に進学しました。勉強にはそれほど興味がなかったと言いますが、コンピューターサイエンスを選んだ理由は「卒業論文がないから」だそうです。 彼はその後、アメリカ本土に移住し、IT業界で働き始めました。 「家族のホテルで働く予定でしたが、兄と同じ職場で働くのは気が進まなくて」と笑います。 アメリカ本土では、日本企業のシステム開発を担当し、日本のバブル経済の恩恵を受けながらキャリアを積みました。
「1980年代後半は、日本企業がアメリカ市場にどんどん進出していた時期で、SUMITOMOやNEC、DENTSUなどの大企業の仕事を請け負うことが多かったですね」と振り返ります。 バブル経済の熱気に包まれた時代、日本企業のアメリカ支社のシステム開発に携わり、その多忙な日々を経験しました。
彼は、結婚を機に再びハワイに戻ることを決意しました。 「 妻がハワイで暮らしたいと希望したことが、その大きな理由です。ロサンゼルスと比べて、ハワイは人種的な摩擦が少なく、よりリラックスした環境です。もちろん、自然や気候も素晴らしいですし、やはりハワイの方が自分たちに合っていると感じました」 と話します。
ハワイに戻り、現地のIT企業に就職し、日系企業や日本企業を対象にシステム開発やインターネット関連の仕事を手掛けました。 「ハワイでの仕事は日本との繋がりが強く、日本企業の支社とのプロジェクトが多かったですね。ハワイという土地で、日本人と一緒に仕事ができることが楽しかったです」と語ります。
「1980年代後半は、日本企業がアメリカ市場にどんどん進出していた時期で、SUMITOMOやNEC、DENTSUなどの大企業の仕事を請け負うことが多かったですね」と振り返ります。 バブル経済の熱気に包まれた時代、日本企業のアメリカ支社のシステム開発に携わり、その多忙な日々を経験しました。
彼は、結婚を機に再びハワイに戻ることを決意しました。 「 妻がハワイで暮らしたいと希望したことが、その大きな理由です。ロサンゼルスと比べて、ハワイは人種的な摩擦が少なく、よりリラックスした環境です。もちろん、自然や気候も素晴らしいですし、やはりハワイの方が自分たちに合っていると感じました」 と話します。
ハワイに戻り、現地のIT企業に就職し、日系企業や日本企業を対象にシステム開発やインターネット関連の仕事を手掛けました。 「ハワイでの仕事は日本との繋がりが強く、日本企業の支社とのプロジェクトが多かったですね。ハワイという土地で、日本人と一緒に仕事ができることが楽しかったです」と語ります。
ハワイでの起業からビジネスの成功へ
ハワイでの生活が安定してきた頃、Seizoさんは次なるステップとして起業を選びました。友人たちと共に設立した会社は、当初はなかなかうまくいかなかったと言います。 「最初は仕事が全然なくて、どうしようかと悩みました」と創業時の苦労を語ります。それでも、仲間たちとのアイデアを出し合い、FAXをインターネットに接続するサービスを開発するなど、新しいビジネスチャンスを模索しました。
「最終的に、そのサービス自体は成功しなかったんですが、その後、日本の旅行会社やウェディング会社などからの仕事を受注できるようになり、少しずつ軌道に乗りました。」 ハワイの日系企業や日本企業の仕事を請け負うことで、ビジネスは徐々に成長し、彼はハワイでのビジネス成功を実現しました。
「最終的に、そのサービス自体は成功しなかったんですが、その後、日本の旅行会社やウェディング会社などからの仕事を受注できるようになり、少しずつ軌道に乗りました。」 ハワイの日系企業や日本企業の仕事を請け負うことで、ビジネスは徐々に成長し、彼はハワイでのビジネス成功を実現しました。
ハワイにおける日系移民の影響
ハワイに住む日本人や日系移民との繋がりは、Seizoさんにとって非常に重要なテーマでした。彼はハワイの日系移民の歴史を知ることが、移住者にとって大切だと考えています。「僕がハワイに来た頃は、まだ日本人は 'Jap'(ジャップ)と呼ばれていた時代が残っていました。この言葉には強い差別の意味が含まれています。今ではほとんど使われることはないですが、当時のハワイでは日本人に対する軽蔑がまだ根強く残っていました」
「ハワイの多くの日本語学校や武道の普及は、日系移民たちの強い意志と誇りに基づいていました。日系移民たちは、自分たちが舐められないようにという気持ちで、日本文化を守り続けていたんです。」 彼はその歴史を学び、ハワイに住む日系人に対するリスペクトを持つことが、現地での生活やビジネスにおいて重要であると強調しています。
「例えば、日本人はダニエル・K・イノウエと言う人のことを知らない人が多いです。 空港の名前になった人くらいにしか思ってないのではないでしょう。でも、マーティン・ルーサー・キング牧師は知っている。これおかしくないですか?」 ダニエル・K・イノウエという人物は、キング牧師と並ぶアメリカの英雄であり、日本人に対する差別や偏見を超える歴史的な存在です。日本人移民の歴史とその誇りを次の世代に伝えていかなければならないと語ります。
確かに現代社会に生きる我々には遠い昔の話で、映画の世界のように感じる人も少なくないはずですが、Seizoさんの言葉には何か背筋を伸ばさなければいけないと感じる一瞬がありました。
「ハワイの多くの日本語学校や武道の普及は、日系移民たちの強い意志と誇りに基づいていました。日系移民たちは、自分たちが舐められないようにという気持ちで、日本文化を守り続けていたんです。」 彼はその歴史を学び、ハワイに住む日系人に対するリスペクトを持つことが、現地での生活やビジネスにおいて重要であると強調しています。
「例えば、日本人はダニエル・K・イノウエと言う人のことを知らない人が多いです。 空港の名前になった人くらいにしか思ってないのではないでしょう。でも、マーティン・ルーサー・キング牧師は知っている。これおかしくないですか?」 ダニエル・K・イノウエという人物は、キング牧師と並ぶアメリカの英雄であり、日本人に対する差別や偏見を超える歴史的な存在です。日本人移民の歴史とその誇りを次の世代に伝えていかなければならないと語ります。
確かに現代社会に生きる我々には遠い昔の話で、映画の世界のように感じる人も少なくないはずですが、Seizoさんの言葉には何か背筋を伸ばさなければいけないと感じる一瞬がありました。
自然の中でのんびりと過ごすハワイでの毎日
ハワイでの生活は、仕事と自然のバランスが取れたものです。Seizoさんは休日にはゴルフを楽しみ、自然と共に過ごす時間を大切にしています。 「ハワイはゴルフ天国ですね。この気候の中でプレーするのは、本当に最高です。」 彼はまた、スポーツ観戦や読書など、趣味に費やす時間も大切にしています。
「ハワイの良さは、日常生活がリラックスできることです。 経営者ですので、毎日仕事は忙しいですが、この環境があるからこそ、バランスが取れているんだと思います」と微笑みます。
経営者としては、京セラの創業者である稲盛和夫氏の経営哲学を学ぶ盛和塾との出会いで考え方が大きく変わりました。 「僕はハワイで起業はしたものの、ずっと経営者としてふさわしい人間なのかと疑問と不安を抱いていたんです。ある時、盛和塾ハワイに入塾させていただけることになり、“社長とはどうあるべきか?”という抱えていた不安への答えをいただけました。今、会社の社長をやらせてもらっていることに感謝しながら毎日を生きています。」
「ハワイの良さは、日常生活がリラックスできることです。 経営者ですので、毎日仕事は忙しいですが、この環境があるからこそ、バランスが取れているんだと思います」と微笑みます。
経営者としては、京セラの創業者である稲盛和夫氏の経営哲学を学ぶ盛和塾との出会いで考え方が大きく変わりました。 「僕はハワイで起業はしたものの、ずっと経営者としてふさわしい人間なのかと疑問と不安を抱いていたんです。ある時、盛和塾ハワイに入塾させていただけることになり、“社長とはどうあるべきか?”という抱えていた不安への答えをいただけました。今、会社の社長をやらせてもらっていることに感謝しながら毎日を生きています。」
[ハワイ進出した実現者からのアドバイス]
最後に、これからハワイへの移住やビジネスを考える人々に向けて、Seizoさんにアドバイスを聞いてみました。
「ハワイの日系移民の歴史を学び、現地の文化を理解することをお勧めしたいです。そうすることでハワイに住む日系ローカルのコミュニティに対するリスペクトの心が必ず生まれ、ハワイローカルとの繋がり方が変わると思います。」
「もう一つは、ハワイの生活コストやビジネスの現実を理解し、新しいアイデアを持って挑戦することです。ハワイは物価が非常に高く、この数年で特に激変しています。でも、それはハワイの一部であり、受け入れるしかありません。だからこそ常に新しいビジネスのアイデアが重要です。ここはハワイですからアイデア次第で必ずチャンスはあります。」
Seizoさんからのアドバイスは2つの大事なことを教えてくれました。一つは日本人としてハワイや日本人移民へのリスペクト。もう一つは、ハワイの現実市場で生きるのだという覚悟 。この2つはハワイ移住や事業進出を実現したい人に必要な最低限の姿勢だと教えられた気持ちになりました。
「ハワイの日系移民の歴史を学び、現地の文化を理解することをお勧めしたいです。そうすることでハワイに住む日系ローカルのコミュニティに対するリスペクトの心が必ず生まれ、ハワイローカルとの繋がり方が変わると思います。」
「もう一つは、ハワイの生活コストやビジネスの現実を理解し、新しいアイデアを持って挑戦することです。ハワイは物価が非常に高く、この数年で特に激変しています。でも、それはハワイの一部であり、受け入れるしかありません。だからこそ常に新しいビジネスのアイデアが重要です。ここはハワイですからアイデア次第で必ずチャンスはあります。」
Seizoさんからのアドバイスは2つの大事なことを教えてくれました。一つは日本人としてハワイや日本人移民へのリスペクト。もう一つは、ハワイの現実市場で生きるのだという覚悟 。この2つはハワイ移住や事業進出を実現したい人に必要な最低限の姿勢だと教えられた気持ちになりました。
●あなたも自分らしい理想のハワイスタイルを実現しませんか? まずはお気軽にWAAPにご相談ください。
>ハワイ進出の第一歩 WAAP
●インスタグラムで、ハワイ移住やビジネス進出などの最新情報を配信中!こちらもぜひフォローください。
>Instagram @waaphawaii
>ハワイ進出の第一歩 WAAP
●インスタグラムで、ハワイ移住やビジネス進出などの最新情報を配信中!こちらもぜひフォローください。
>Instagram @waaphawaii