[ハワイ進出した実現者インタビュー]
Shuji Hamamoto (濱本修二)
画家
広島出身のShujiさんは29歳で脱サラし、30代は思いっきり仕事に打ち込み、42歳の若さでアーリーリタイヤ。それからは南の楽園ハワイで快適なエンジョイ生活を実現したのでした。
「音楽が大好きで、若い頃からドラムを始めバンド活動をしていました。 大学卒業後レコード商社に就職したんですが、サラリーマンの将来に夢が持てず、わくわくするような仕事を模索してました。 29歳でやっとやりがいを感じれる仕事を見つけることができ、30代寝食を忘れて打ち込んだ結果、42歳でリタイヤしハワイ移住を実現しました。 せっかく築き上げたビジネスなんだからやめるなんてもったいない、もっと続けたほうが良い、リタイヤするのは早すぎると周りからは反対されましたが、僕の目指すゴールは大富豪になることではなく、のどかな人生、のんきな小金持ちでしたから、未練なくアーリーリタイヤの道を選びました。」
ビジネスで成功を収めていく過程で、彼は60か国以上の国を旅しました。地球儀を回しながら理想的な暮らしが出来そうな移住先を考えていたのです。
「僕にとってのそれはハワイだったんです。 南の島好きの僕のお気に入りはタヒチ、カリブ、地中海、インド洋などもありますが、住むとなるとやはりハワイ、それもオアフ島なんです。 なぜかというと、先ずは気候、夏も冬も年間を通して気候が世界一良い! 太平洋の島々は海水のシャワーを浴びるしかないほど水不足の島が多いのですが、火山島ハワイは東からの貿易風が山にぶつかり、上昇気流でいっぱい雨を降らしてくれる。 だけどビーチは青空。 真水のシャワーは浴び放題で、まさに楽園中の楽園だと思います。」
「また、沢山の人種が暮らしていますから人種差別もないし、日本食はもちろん多国籍の料理を楽しめます。 それから、生まれたところを遠く離れた海外生活に懸念される孤独感が全くない。 日本から途切れることなく友人や親戚が訪ねてきてくれます。 島の大きさも良いですね。大きすぎず小さすぎず、街と山と海をバランスよく楽しめる。 ハワイ生活27年になりますが飽きるどころか、どこに旅しててもすぐにハワイにかえりたくなる。 ここは僕にとって毎日幸せを感じれる最高の場所なんです。」 と、海好きで音楽好きの彼は、ハワイに来てからもマリーンスポーツ、バンド活動を楽しんでいます。
「僕は若い頃、水上スキー、それも一本スキーのスラロームをやっていたので、そのスピード感に比べたら正直サーフィンは大したことないだろうと思っていました。ところが、のしかかってくるような波の壁を横目にすり抜けていくスリルを味わった瞬間アドレナリン出まくり!すっかりはまってしまいました。 バンドの方はハーバーに停泊しているクルーザーのキャビンにドラムをセットしていて、仲間がアンプを持ち込んで船内で爆音を鳴らしても全く外に音が漏れないので最高の練習スタジオなんです。 時々ライブハウスにも出て盛り上がってました。」 と話す彼の笑顔は、ハワイの男の顔・海の男の顔・自然に囲まれ生きている男の顔で本当に魅力的でした。
リタイヤライフで、「ビジネスビザ」はナンセンス ⁉
「僕は最初ハワイへは学生ビザできたんです。 他にもビジネスビザという選択肢もあると思うのですが、ハワイでビジネスをやるとなるとアメリカ人の従業員を雇用し、営業成績が振るわないとビザの更新ができなくなるので、売上に一喜一憂しながら頑張らないといけなくなる。 リタイヤライフを楽しむのが目的なのにそれでは本末転倒になりかねないということで、最初の5年間は語学学校に通い、次の5年間はKCC(カピオラニコミュニティーカレッジ)を経て、ハワイ大学本校でアートを専攻しました。 学生ビザでの生活は真面目に授業に出て、放課後はサーフィンやバンド活動と充実した日々でした。 大学に入学してからはアートを専攻しドローイング、オイルペインティング、デザイン、カラー、セラミック、スクラプチャーなど色んなアートクラスを受講しまくりました。 ローカルの展覧会にも出展し、数々の賞もいただきました。」
学生ビザでハワイ移住を果たしたShujiさんは、クラスメートの日本人から“投資永住権プログラム”というものがあることを聞き、早速その日本の移民専門弁護士事務所に連絡をとり、EB-5(投資家永住権プログラム)に参加し、永住権(グリーンカード)を取得したのです。EB-5とは、アメリカの雇用を生み出すビジネスに決められた金額を投資することでグリーンカードがもらえるプログラムです。 投資するだけですからその仕事に従事する必要は無いので、今まで通り自由に暮らしながら配当までいただける。 こうして10年間の学生生活も終わり、まったく制約のない暮らしが始まりました。
脱サラし、その後にビジネスで大成功。そしてハワイ移住し、リタイヤライフ。 そして、ビザの煩わしさからグリーンカードを取得。それは確かに経済力に裏付けられる特権かもしれません。 しかし、自身の思いと信念、そして何よりも自分に素直に生きるスタイルが、ここまでくることができた大きな理由であると感じられた。
「光と色彩に溢れたハワイの自然を楽しみ、その中でインスパイヤーされて絵を描く、こんな日々を送っています。」
第二の人生を画家をめざすことを決め、大好きなオーストラリアの画家ケン・ドーン氏に会いに行ったそうです。ケン・ドーン氏はShujiさんを快く受け入れ、3日間も付き合ってくれ、サクセスストーリーや考え方を話してくれました。
その3日間は彼にとっては夢のような時間であり、自身の画家としての生き方にも大きな影響を与えたのです。
「ケン・ドーンさんは自身の絵を衣類やインテリア小物にプリントして大勢の人に生活の中でアートを楽しんでもらえるようなスタイルで成功されています。私もそんなアーティストを目指したいと思います。」
Shujiさんの話を聞きながら、憧れと羨ましさ、そして何と言ってもその行動力と創作意欲に敬服する感覚を抱きました。夢の実現力・そこには想いと行動の両輪を動かし続ける底力のような人間力を感じることができました。
そんな生活を送っていたある日!
「僕はハワイに来て最初プナホ地区のコンドミニアムのペントハウスに住んでいました。 理由は建物の魅力とセキュリティ、そして地域性。次に引っ越したのがワイキキハーバーの船の目の前のコンドミニアムのワンベッドルーム。 海にも買い物にも便利で気に入って長い間住んでいたのですが、あるきっかけが僕に新たな道を目覚めさせ、今はオアフ島西岸のマカハバレーに移り住んでいます。」
ある日ハーバーで広島からはるばるカタマランヨットで航海して来た人達に出会ったそうです。 懐かしい広島弁が聞こえて来て思わず声をかけてみたら、彼らは広島からアラスカを目指しての航海中に嵐にあい、船の修理のためアラスカを断念しオアフ島に立ち寄っていたのです。2ヶ月間の修理期間中に意気投合し、Shujiさんのクルーザーに招待したりして一緒に楽しい時間を過ごしました。
彼らは修理を終えて予定を変えてサンフランシスコに向かって出航。サンフランシスコのアラメダマリーナに入港後、船を置いて年末年始広島に帰国。 Shujiさんも同時期に広島に帰国していたので、広島で再会し、酒をくみかわしながらサンフランシスコから南太平洋周りで帰国する計画で盛り上がりました。 南太平洋フレンチポリネシアに詳しいShujiさんが道先案内人として一緒に航海に同行する事になったのです。 翌2月、サンフランシスコで再会。 ゴールデンゲートブリッジの下を通過し、カリフォルニア半島最南端カボサンルーカスを回り込んでラパスに寄港。ラパスからは遠くマルケサス諸島を目指して永遠29日間の航海でした。
「道中、街明かりも行きかう船もなく、この地球という星に人間は自分達しかいないのではないかと錯覚するくらいでした。 トローリングの得意な私は、マグロ、サワラ、シイラ、カツオなど、食料調達係としても活躍しました。 そしてマルケサス。ここはもともとハワイアンのふるさとで、美しい自然溢れる島々。 画家ゴーギャンが終焉の地として選んだ島としても有名なんです。 マルケサス諸島からツアモツ諸島、ソシエテ諸島と島伝いに西に移動し、フレンチポリネシア最後の寄港地ボラボラ島を最後に次の目的地クックアイランドのアイツタキ島に寄港(アイツタキは太平洋で一番美しい島にも選ばれています)。」
「そして、更に西に進んでニウエ。 この島はサンゴが隆起したお好み焼のような形状の島で(たとえが広島人)、海の透明度といったら息を吞むものがあります。 この小さな島は世界で2番目に小さな国で(1番はバチカン)人口2,000人足らずの島になんと寿司屋があったんです。 その寿司屋の店長にごちそうしていただいた試作品のココナッツワイン、美しい乳白色で微炭酸、凄くおいしい! 僕はすっかり虜になりました。このワインを商品化出来れば大ヒット間違いない! これまでに立ち寄った南太平洋の島民はココナッツからとれるコプラを年に数回訪れる貨物船に売って、そのわずかな収入源で暮らしていました。そんな島民の生活向上にも貢献できそうだし、僕は店長に製品化を強く勧めました。」
「早速、店長と一緒にココナッツワイン作りの挑戦が始まりました。 何度か試作しているうちに増々本気モードになり、ここまで5か月間一緒に航海して来た仲間に別れを告げ、僕だけニウエに残ることにしました(残念ながら未だ製品化には至っていませんが)。 話が長くなりましたが、その時の僕の宿泊先での経験が僕の今後の生活スタイルを大きく変えることになります。」
その後、ニウエからハワイに戻り、ニウエでの体感が彼のハワイでの生活スタイルに変化を与えた。 それはもうワイキキではなく、観光エリアではなく、オアフの田舎で自然豊かなところに居を構え、静かにゆっくり絵を描く生活をしたいと思いすぐに行動に移したのです。
「ニウエでの滞在先は島の西岸に位置する絶壁にある新築のコテージでした。 ニュージーランドから移り住んできた初老のご夫妻がお二人で建てた可愛らしいコテージ。 切り立った海岸線ぎりぎりの所に完成したばかりのウッドデッキがあり、太平洋に沈んでいくサンセットを眺めながらお二人と冷え冷えの白ワイン(ソビニヨンブロン)で乾杯! 忘れ得ぬ至福の時! ハワイに帰ったら僕も住み慣れたワイキキを離れて大自然の中、海を見下ろせる高台に住もう!と心に決めた瞬間でした。」
「ニウエからオアフに帰る途中ニュージーランドのオークランドでワイナリーを見学したあと、ハワイに帰りすぐに家探しを始めたんです。 完全にニウエでの生活にやられちゃいました(笑)。 オアフ島西岸ワイアナエ山脈の谷間(マカハバレー)に気に入った家を見つけ、そこを改装し自分の空間をつくりました。」
「本当に静かな良いところです。 でも、実は今の家を改装しながら決心したんです。 やっぱり0から自分の住む家をつくりあげたい。 そして近所に納得のいく土地を見つけ、若い頃から繰り返しデッサンしていた理想の家の図面も出来上がり、おそらく1年後には完成すると思います。 僕の終焉の家です。そんな環境の中で納得のいくArt作品を残せたらきっと悔いなく死ねると思います。 Art is long,Life is short.」
話を聞いていて著者は、憧れや羨ましさを通り越して本当に感動でした。 確かに経済力に裏つけられての行動生活です。 しかしその経済力は自力で勝ち取ったもので、自分が作り上げたもの。 そして奢りや虚勢は一切感じさせないShujiさんの人格の魅力に感動を覚えたのです。
[ハワイ進出した実現者からのアドバイス]
これからハワイライフを実現したい人へのShujiさんからのアドバイスは、「アドバイス。そうですねえ。 過ぎてしまえば人生は短いです。 いつまでもやりたくないことをやっている暇はない。 やりたい事をみつけて思いっきり頑張れば、意志あるところ道は開けると思います。 夢に向かって頑張ることは苦労でもなんでもない。 You can do it!」
アドバイスの締めくくりも感動でした。とにかく最初から最後まで、憧れ、羨ましさ、ではなく、「感動」の一言しか出てこないインタビューでした。
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