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ハワイへの移住・ビジネス進出のフルサポート

1ヶ月の生活体験で人生が動いた。中村ファミリーのハワイ移住ストーリー

[ハワイ進出した実現者インタビュー]
Yumi Otahara(大田原・中村・裕美) / Hitoshi Nakamura(中村 仁志)
株式会社アメージング・フューチャー  代表取締役
Amazing Future Hawaii Inc  President

 

中村仁志さんは埼玉・川越で育ち、両親は公務員。それでも本人の中には早い段階から「就職」という選択肢がなかったと言います。「自分で責任を取って生きたい。経営者になりたかった」。その言葉どおり、学生のうちから“好き”だったアクセサリーのビジネスに挑み、アメリカの人気ブランドへ直談判。販売権を獲得するところまで進むのですが、資金が集めきれず断念します。

ここで得たのは、悔しさ以上に大きな学びでした。「想いだけでは経営はできない。資金と仕組みがあって、はじめて挑戦になる」。以降は、知人経営者のもとで飲食FCの現場に飛び込み、未経験から“経営の基礎体力”を鍛え直します。そしてフィットネス事業へと舵を切り、多店舗展開を牽引。遠回りに見える経験の一つひとつが、のちに家族でハワイへ挑むための土台になっていきます。

 

 

「女性が働き続けられる社会」を、理念で終わらせない起業

大田原(中村)裕美さんは東京・世田谷育ち。ICU卒業後、大手コンサルへ入社します。選んだ理由は「一番早く内定が出て、給料も良かったから(笑)」と、驚くほど率直。けれどその“合理的な選択”が、のちの人生テーマを連れてきました。若手の頃から向き合うのは経営者ばかり。数字と人を同時に背負う厳しさ、成果を出す快感を知る一方で、現場で見え続けたのが「女性がキャリアを積むほど、生きづらくなる」構造でした。やる気があっても、環境や役割の壁で続けられない人がいる——その違和感は、いつしか使命感へ変わっていきます。

2007年、裕美さんは理念を掲げて「株式会社アメージング・フューチャー」を設立。女性専用フィットネスの運営を軸に、“女性が自立して活躍し続けられる会社”を言葉ではなく、制度と運営で実装していきました。女性管理職100%、14店舗・約60名規模へ。9名のマネージャーは全員女性。採用、育成、評価、働き方——現場の仕組みを整えることで、「続けたい」と「続けられる」を一致させてきたのです。

その経営の積み重ねの中で、裕美さんは「女性が望む人生を叶えるために、何を考え、何を大切にすべきか」がクリアになっていったと言います。そして、その気づきを一人でも多くの女性に届けたいという思いから、ライフデザインの本も執筆。ハワイ移住という“家族の大きな意思決定”の裏側にも、理念を現実に変えてきた彼女ならではの思考と設計力が、確かに息づいていました。

書名:『よりかからない生き方 ― 夢もキャリアも叶えるライフデザインブック ―』
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夫婦で事業をする=「同じ未来に責任を持つ」チームになること

二人の出会いは同じFC本部。いわゆる“恋愛の延長”というより、起業家同士が同じ戦場で互いを見て、信頼を積み上げていった関係でした。仁志さんは「裕美は理念を実現するために起業した人。だから応援したいと思った」と話し、裕美さんは「夫婦は性格が合うだけじゃなく、“未来の理想が合うか”が大切」と言います。

結婚後、仁志さんは前に立つより“後方支援”に回る決断をしました。役割で勝つ夫婦。互いが得意な場所で力を出すから、事業も家族も前へ進む。ここにあるのは、感情論ではなく“戦略としてのパートナーシップ”。そしてそれは、移住という大きな意思決定にもブレない軸を与えます。「どこに住むか」ではなく、「どんな未来をつくるか」。二人は常に、同じ方向を向いていました。

 




初ハワイで“風”に恋をした日。夢がいつしか「計画」になった

二人が口を揃えて語るのが、「ハワイの空気と風にやられた」という感覚。仁志さんは社会人旅行で初めて訪れ、「完全にノックアウト(笑)」。
裕美さんは仕事で豪華客船のツアー企画として上陸し、自由時間はほとんどなかったにもかかわらず、降り立った瞬間の“風”だけは忘れられないと言います。訪れるたびに「いつかハワイで事業をしたい」という想いが膨らみ、世界のビーチリゾートを見ても心が帰るのはハワイだった。

事業が好き、ハワイが好き、そして“いつか”を本気に変えたい。そんな共通項が、夫婦の中で静かに熱を帯びていきます。とはいえ、移住は勢いだけではできない。彼らがすごいのは、憧れを「意思決定」に変えるタイミングを逃さなかったこと。仕事と家族の条件が整った瞬間、ハワイは“夢の舞台”ではなく“次の拠点”へと姿を変えていきます。

 

 

「いつか」から「今しかない」へ。1ヶ月の生活体験がすべてを動かした

2023年夏、中村ファミリーは1ヶ月のハワイ生活体験に踏み切ります。目的は観光ではなく、娘さんのスクール体験と“生活の解像度”を上げること。自炊し、ローカルスーパーで買い物し、学校を見学し、暮らしの速度を確かめる。そこで出会った在住ファミリーの一言が、決定打になりました。「移住したいなら、早い方が良い。特にお子さんが小さいうちの方がいいですよ」。夢が一気に輪郭を持った瞬間です。

仁志さんは言います。「僕ら、波が来たら乗るんです。ビジネスも、人生も。縁と運とタイミング」。その後のスピードが圧巻でした。2023年8月に1ヶ月滞在→年末にワイキキのコンド購入&投資ビザ申請→2024年に家族で移住。準備の中で“ビザの道”と“拠点”を同時に固め、夢を現実の工程表に落としていく。ハワイ移住は、決断の連続。その連続を、彼らは迷いなく前へ進めました。

 

 

娘の成長が「移住の答え」をくれた。次は“ハワイ発ギフトビジネス”へ

移住後の生活は想像以上に現実的です。朝6:30に起きて弁当を作り、夫婦で協力して送迎。昼は仕事やジム、夕方からは日本時間の業務。週末は娘さんのピアノ中心で、ビーチやトレッキングは「まだ全然できていない(笑)」と裕美さん。

それでも、移住の“正解”は暮らしの中にありました。娘さんは環境にすぐ馴染み、挑戦を促す教育の中で自信を育てていきます。音楽教室では基礎の反復よりも高い課題へ挑戦し、コンペへ。努力して成し遂げる喜びを刻む——裕美さんはそれを「音楽を超えた挑戦の教育」と表現します。そして娘さんはハワイ代表として日本へ、さらにニューヨークのカーネギーホールで演奏する経験まで重ねます。「娘が私たちをニューヨークに連れて行ってくれた」。この言葉に、家族の進化が詰まっていました。

次の挑戦は、ハワイ発のギフト(おみやげ)ビジネス。「必ず成功させます。そのために今ここにいるので(笑)」。
最後にこれからハワイ移住を目指す人へのアドバイスはシンプルです。「本当に住みたいなら、早く来ちゃえばいい」。ハワイは“住まわせてもらえる場所”。だからこそ、感謝を忘れず、挑戦者として根を張っていく——中村ファミリーの物語は、その背中を見せてくれました。

 

 

 

 

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