[ハワイ進出した実現者インタビュー]
Miyoko Sawai (澤井 美代子)
Hau’oli Ocean Style,LLC 代表
海のない埼玉で生まれ育ったMIYOKOさん、なんとビーチデビューは生後2ヶ月だった。 「両親が本当に海が大好きで夏は毎週金曜の夜から千葉の海に出かけ、日曜の夜に帰ってくる。毎週ですよ!普通じゃない(笑)」と彼女のインタビューはこの言葉から始まった。
「海のない埼玉で生まれ育っているのに、私にとって海はとにかく本当に近い存在でした。物心ついた時から海は生まれ育った遊び場みたいな感じとでもいうか、とにかく海が大好きだった両親に育てられたんです。」 そう話す彼女の笑顔はなんとも魅力的で、日焼けで真っ黒な“海の女”の顔でした。
冬は山、夏は海。 スポーツ万能少女!?
「小学1年生から中学3年生まで、冬はスキーに明け暮れ、競技スキーに打ち込みました。 スキーはおばあちゃんがやらせてくれたんです。 競技スキーは結構お金かかるんですよ。本当におばあちゃんには感謝しています。 そして、高校に上がる時、これ以上おばあちゃんのお世話になれないと競技スキーは諦めて、ウエイトリフティングを始ました。 スキーの先輩たちが筋力強化のためにやっていて、私も巻き込まれちゃったんです。 高校3年間は、ウエイトリフティングを超本気でやりました。 」
MIYOKOさんは、3年間ウエイトリフティングに集中し、凄まじい結果を残した。 全国大会無敗の全優勝・高校新記録更新、そして国際大会出場にまで上り詰めたのです。 複数の大学から特待生入学のオファーもきたが、彼女は自分の限界を感じていたようで完全燃焼。 自分の中で完全にやり切ったため、これ以上続けられる自信がなかったのです。
本屋で出会ったライフセービング
「もう家に負担はかけたくなかったし、大学進学でなく就職の道を選びました。 とにかく何か資格を取ろう!と思って本屋さんに行き、色々な資格教本を見ていたんです。 そしたらライフセービングの資格の本が目に飛び込んできたんですよ。 大好きな海、人を助ける、自慢の力も活かせる。 これだ!って思いましたね!」 と早速、ライフセービングのことを調べて、ライフセービングの専門学校に入学し、海の生活が始まった。 スポーツ万能の彼女はライフセービングの世界でもインカレ優勝まで上り詰めた。 この2年の間に研修でオーストラリアとハワイの海も経験した。
「ライフセービングの学校は本当に行ってよかったです。たくさんのことを学べました。 海・レスキュー・ドクターでは無いけれど人命救助の知識と技術を習得でき、 本当にためになりました。でもその先には経験が必要。 私には、まだまだその経験が足りませんでした。」
3年半の社会人経験の先に、ついにハワイ!
「学校を卒業し、大手スポーツクラブに就職、すごいでしょ(笑) 大学も出ていないスポーツしか知らないお馬鹿さんが就職できたんです。周囲の人たちは本当に驚いていました。当時の就職倍率はものすごくて“MIYOに入れる訳ないだろ”と皆に言われてたので、合格通知がきた時は本当に嬉しかったです。」 しかし、スポーツクラブでスイミングコーチ・フィットネストレーナーとして働いていた彼女は、どこかでやり残した感があり、やっぱり海が好きな自分をずっと感じていた。
「本当に一生懸命働きましたよ。とりあえず3年半はやったんでそろそろ良いでしょ? って自分に言ったんです。やっぱり私は海が好き。海で生きていきたいって。」 と彼女はワーキングホリデーを利用し、まずオーストラリアに行き、本場のライフセービングを約3年間学びます。そして、ハワイはビザの問題が大きな壁だったが、次は必ずハワイに行くと決めていた。
「ハワイに行くには学生ビザしかなかったんです。だからせっかくだからハワイの大学で勉強しながらハワイのライフガードも勉強しよう!と決めました。」 彼女はまずカピオラニ・コミュニティ・カレッジ(KCC)に入学。そして、毎年ハワイ州のライフガードのテストも受け続けた。 毎年、合格点を取ったが学生の立場のためにハワイ州のライフガードの職に就くことはできませんでした。
「ハワイの学校に通いながら毎年ライフガードのテストは受け続けたのは自分の実力を試すためです。私は留学生なので合格してもハワイで仕事はできない。だから自分の実力を常に試しておくために参加していました。毎年毎年、“お!MIYOKO、また来たのか”って担当ライフガードに言われるくらいでしたよ(笑)」 そして、彼女はKCCからハワイ大学(UH)に転籍。 学生でもハワイで仕事をしても良い許可を取得し、いよいよライフガードの資格を活かして海での仕事を始めることができたのでした。
大学卒業のタイミングで、なんとグリーンカードが当選!
「日本人がハワイにいるのはすごく大変。やはり高い壁はビザでした。私はKCCからUHに転籍し、うまく海でのお仕事にも就くことができたので本当に幸せでした。 でも常に頭の中には大学卒業したらハワイにはいられなくなると考えていました。でもね。私って“持ってるんですよ!ツキ!” なんと卒業の年に毎年申し込みをしていたグリーンカードの抽選に当選しちゃったんですよ! 持ってるでしょ、アタシ!(笑)」 著者は、この人は普通じゃない!と感じました。確かに強運というか“持ってる”という表現が一番しっくりきた。
「ありえないくらいのミラクル! 私これで自分の運を使い果たしたなって思いました。でも本当に嬉しかったんですよ。正直びっくりでした。 でも、グリーンカードの当選で運を使い果たしたのか、これでハワイ州公認のライフガードになれると思ったんですが、なぜかタイミングが悪くて・・・。 それで仕方なく自分で会社を立ち上げて海の仕事を中心に自分でやり始たんです。」 とグリーンカードを取得し、会社を立ち上げ、自分の好きなことを仕事にしながらハワイライフを満喫していることをさらっと話した。 誰もができることではないが、彼女は海の潮の流れに身を任せるような自然さでここまで来ているような印象を著者は感じてしまいました。
「ほぼ毎日ハワイの海の中にいます。週3日はハナウマ湾、他の4日はオアフ島の西側の海でプライベートガイドをしています。 そして、それ以外にハワイ州シティアンドカウンティのライフガード関連のお仕事が入ってきて、休みなく毎日お仕事していますよ。 でも仮にお仕事がなくても海には入るので同じこと。毎日海に入れる幸せを実感しています。」
日本人女性で最高齢のハワイのライフガード
自身の夢を実現してきたMIYOKOさんに次の夢を聞いてみた。 「夢ですか? なんだろう。 特に無いですけど、そうですね・・・」 と言葉が止まった彼女に著者は問いかけてみた。“やはり日本人の女性として、最高齢でハワイのライフガードになることではないですか?”と。
「あ!それ良いかも! はい。それやります! あとやはりハワイの島をカヌーで渡るレース(モロカイレース)にも再出場したい。 それからIronman Triathlon(アイアンマントライアスロン)にも挑戦したいかな。 自分のボートを手に入れてボートでダイビングにいくメニューもやってみたいかな。」 とライフガードインストラクター・ボートキャプテン・マッサージセラピストなどの資格をもつ彼女には夢という定義はなく、自分がやりたいと思ったことを一つずつ実現していくことが普通のことであり、それが夢なのではないかと感じた。
[ハワイ進出した実現者からのアドバイス]
これからハワイライフを実現したい人へのMIYOKOさんからのアドバイスは、 「自分がアドバイス欲しいですよ! これからもハワイに住み続けるためのアドバイスを私にください!(笑) そうですね、まず当たり前のことですが、観光で来るハワイと生活するハワイは全く別のもので違うということ。 表から見えるものと本当のハワイは別です。 まずそのことは覚悟して来て欲しいし、その違いを実感するためにもハワイの人との接点をできるだけ多く作ることだと思います。 日本で生まれ育った自分とハワイの人では文化・習慣・価値観が違います。 早くその違いを知れば、受け入れ方もわかってくると思います。 イライラもするし、驚きもするし、でもそのおおらかさに救われることもある。早く本当のハワイを知ることしか無いですね。」
ハワイ移住実現者たち誰もが言っていることですが、彼女からは本気でその違いと向き合い乗り越えてきた者にしか表現出来ないような覚悟というか、難しい壁を乗り越えてきた勝者のような、そんな印象を著者は受けました。
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