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[あなたのハワイ進出の第一歩]ハワイと日本で、仕事も遊びも。

ハワイでドラマのようなサクセスストーリーを掴んだ日本人女性! - 普通のOLが、ハワイ州観光局日本支局・局長へ -

普通のOLが、ハワイ州観光局日本支局・局長へ Mitsue Varley (ミツエ・ヴァーレイ)

[ハワイ進出した実現者インタビュー]
Mitsue Varley (ミツエ・ヴァーレイ)
ハワイ州観光局 日本支局 局長

 

ハワイ州観光局 日本支局 局長のミツエ・ヴァーレイさんは、石川県 出身の生粋の日本人女性だ。 金沢で商社に勤めていた時に、アメリカ人男性と出逢い、日本で婚約し、ご主人のハワイ帰国で一緒にハワイに移り、結婚。

「私は、石川県 生まれで、北陸から一歩も外に出たことのない3人兄弟の長女でした。 金沢で商社に就職し4年間、営業アシスタントとして働いていた普通のOLでした。 商社なので少しは英語の勉強をしようと思い、仕事をしながら夜は英会話学校に通っていたんですが、それが繁華街 片町のど真ん中。 当時、外国人の人はとても少なく、ちょうどその繁華街にある英会話学校がほぼ金沢中の外国人の溜まり場だったので、様々な外国の人たちでいっぱいでした。 私は少しでも外国の人たちと知り合い、英語になれたいと思ってサークルに入っていました。 ほとんど飲みサークルでしたけどね(笑)」

ハワイの大学に勤めていたご主人が日本の大学に2年契約の勤務で来ていた時に金沢で出会ったそうです。 そして婚約することになるのですが、当時のMitsueさんは英語も普通、留学経験なし、海外にも行ったこと無し。 でも好奇心だけは人一倍あったとか。

「婚約の話を両親に話たら、 “お前の決めたことなら応援する。しっかりやれ!” の一言でした。 そして、私はフィアンセ ビザを申請してハワイに行くことになるんですが、結婚式の準備は主人が全部やってくれました。 だって私は知り合いはいないし、英語もろくに話せない、初めての海外生活。そりゃ何もできませんよね(笑)。 なので、主人の友人・同僚・後輩など、大勢の方達が何から何までやってくれて、結婚式はカイルアの教会で行い、パーティはそのお庭。 日本から私の家族・親戚・友人たちが、なんと20人以上ハワイまで来てくれました。 “ミツエがハワイで結婚式あげるって! ハワイに行けるからちょうどいい! ハワイ旅行行ける!”みたいな感じ(笑)。 総勢80人くらいのローカルウエディングでした。」 本当にすごくローカル的な暖かい手作りパーティだったそうです。

 

新婚の専業主婦は1ヶ月で終わり!?Mitsue Varley (ミツエ・ヴァーレイ)

 

新婚の専業主婦は1ヶ月で終わり!?

24歳でハワイに来たMitsueさん。 ハワイでの新婚生活がスタートし、専業主婦でご飯を作り家事をこなす日々が始まったが、好奇心旺盛なバリバリOLだった彼女は、ハワイに来ても物おじせず、その性格も変わることはなかったようです。

「専業主婦の生活は1ヶ月しかもちませんでした(笑)。 家の中でじっとしているんじゃなく、仕事をして早くハワイをもっと知りたかったんです。 なので、主人に相談する前に新聞の求人欄をみる毎日。 私の中で決めた条件は、(1)ワイキキ以外の場所 (2)日本企業にはいかない (3)室内デスクワークではなく外に出る仕事。 これが仕事探しの3つの条件でした。 ある日の新聞でクアロア牧場アクティビティクラブ(現在のクアロアランチ)の求人を見つけたんです。 これかも!? 直感ですね(笑)。 主人の帰宅早々に “仕事をしたい。 気になる求人を見つけた” と話たんです。 そしたら、にこやかに “ミツエのしたいようにやってみなさい” ん!? なんか昔、両親に同じこと言われた気がする。 きっと私の周りの人は “こいつは自分で決めたらやるやつだから” と思っていたのかもしれませんね。」

「早速、翌日電話をしたら “明日来れる?” と言われてクアロアランチに行ったんです。 軽く見学をして、どんな仕事なのかを聞いて、そしたら最後に “で、いつから来れるの?” えっ!採用?(笑)。 “いつからでも大丈夫です”と答えたら、 “そう。じゃあ明日から来て。” えっ!明日から!?という感じで、フルタイムの仕事がはじまりました。」 なんともMitsueさんらしい行動力だと思ったが、同時に、ここからがハワイの文化・商習慣との接点の始まりだった。

「仕事内容は、様々なアクティビティのブリーファーです。 つまり、乗馬・ガン射撃・4輪バイク・ジェットスキー・マウンテンバイク・ウインドサーフィン・スキューバーダイビングなどのアクティビティの説明や安全注意など、日本語での説明係です。 そうなんです。 実はお客様のほとんどが日本人だったんです。 毎日、大型バスで大勢の日本人観光客が押し寄せて来ていました(笑)。 説明係とはいえ、自分がやったことがなければ説明なんてできないし説得力もない。 ただマニュアルを読みあげるだけの人になっちゃうじゃないですか。 だから、ヘリコプターの操縦以外は、ほとんど自分も勉強してやってみての毎日でした。 希望通りのワイキキではない超ローカルカンパニーで、超屋外で体を使う仕事(爆笑)。 もう大満足の日々でしたね。」




 

自分の好奇心とハワイを思う気持ちが、出世の道を切り開く Mitsue Varley (ミツエ・ヴァーレイ)

 

自分の好奇心とハワイを思う気持ちが、出世の道を切り開く

2年目にスーパーバイザー、3年目でマネージャー、そして5年目にはディレクターとスピード出世だったMitsueさん。 でも7年半の勤務で卒業退職の選択をした。 理由は次の自分のためにスキルアップができる未経験分野を学びたかったから。 クアロアランチでの辛かったこと、楽しかったこと、学んだことを聞いてみた。

「辛かったことは、正直あまり記憶がないです。 確かに働いている人たちの板挟みになったりとかありましたけど、とにかく仕事は学びが多くて楽しくて、辛いこともありましたが忘れました!」

「嬉しかったのは、とにかくお客様の笑顔と喜んでもらえた時。 実は今でも日本での講演に来られた方に “クアロアランチでミツエさんにお世話になったことあるんです。 あの時の楽しかった思い出は今でも覚えています” とか言われることがあるんです。 もう涙が出るほど嬉しいです。 楽しかった思い出は、仕事後に仲間とビーチに行って、ビールを飲みながら日本語や日本のことを教えたりするんですよ。 ハワイアンのスタッフたちは、みんな日本人のことをもっと知りたいんです。 ビールを飲みながらウクレレを弾く人もいて、みんなに日本のことを教えてあげてたんです。そしてハワイのこともたくさん教えてもらいました。 あの時は本当に楽しかったし幸せを感じましたね。」

「学んだことは、柔軟性とコーディネーションスキルです。 とにかく外国に来てこの土地で生きているのだから、日本の金沢で生まれ育った価値観だけでは生きていけないし何より失礼。 とにかく謙虚で前向きに調和と融合を目的に何が起きても対応できる柔軟性は必須スキルだと学びました。 そして、人と人を繋ぎまとめて、目的を実現するコーディネーション力。 これは本当に勉強させてもらいました。」

この好奇心、行動力、挑戦する心、これらがMitsueさんをこの場所まで連れてきてくれたのだなと感心すると共に、彼女の内に秘めた強さを感じました。 それらは、やはり好奇心と挑戦する気持ち、そして何よりもハワイへの愛情だということがわかってきた。

「クアロアランチでの仕事は7年半で卒業させてもらいました。 日本の商社では、仕事というもの、そして人間関係を学び、クアロアランチでは、アクティビティ、営業、マネージメントを経験させてもらいました。 自分にはPR・マーケティングのスキルが弱い、学びたい! そう思ってクアロアランチの社長やスタッフに自分の気持ちを伝えて理解してもらい卒業させてもらったんです。」

 

マーケティングのスキルを身につけたくてPR会社に転職。Mitsue Varley (ミツエ・ヴァーレイ)

 

マーケティングのスキルを身につけたくてPR会社に転職。そして・・・

「クアロアランチ時代に、あるPR会社の副社長の女性にお会いしたことがあり、彼女が“うちの会社に来ないか” と声をかけてくれたんです。 私の希望に合致するお誘いだったので、お世話になることを決めました。 そして、ここでは、クライアントサービスやメディアビジネスを経験させていただきました。」

「でも実は1年で転職することになったんです。(苦笑) オアフ島の観光局の人から “アジア部門を新たに作りたいからぜひうちにきてやって欲しい!” とお誘いがあり、私はこれまでの経験を活かす場所としてもそうなんですが、何よりもハワイと日本を繋ぎ、ハワイのためになれる仕事だと感じて即答しました。 “はい。ぜひお願いします” と(笑)」

彼女は、クアロアランチでは柔軟性やコーディネーション力を学び、オアフ観光局に転職し、8年間 オアフ島の観光促進の仕事に就く。 ここではデスティネーションマーケティングの仕事を経験した。 アメリカのやり方をどうやって日本に伝えるか。また日本人の考え方や文化をどうやってアメリカ人に理解してもらえるか。という点が一番難しく、その経験が大きな価値になった。 アメリカ人の中に日本人が一人だけで、英語のプレゼンテーションが本当に難しかったが、予算を預かり、ある程度自由にやらせてもらえたことが貴重な経験になったそうです。 そして、オアフ観光局では、次のレベルの想像力やリーダーシップ、プレゼン力、そして英語を学び、この2社での経験がハワイ州観光局の土台になっている。

 

コンベンションセンターのセールスマネージャー、そして、ジェイク・シマブクロのマネージメントでNPOの立ち上げ

「オアフ島観光局では、本当にやりたかったハワイと日本を繋ぐ観光の仕事ができて、すごく楽しかったし、勉強になりました。 でもわかったことは、ハワイ州全体ではなくオアフ島単体でできることには限界があるということ。 そう感じていた時にPR会社時代の副社長から連絡がきて “今、コンベンションセンターのVPをやっているんだけど手伝ってくれない?” とまたもや引き抜きコール(笑) ありがたいことです。 そして、その1年後に再び別の機会があり、今度はウクレレ アーティストのジェイク・シマブクロのオフィスからお誘いで “ジェイクがNPO作りたいから手伝って!” と、本当にありがたい。 私は周りの人たちに本当に恵まれています。」 と彼女は、また違ったことをしてみたい。もっとローカルの根差した仕事ができるかもとの興味心からの転身を決められたそうです。

「ジェイクのオフィスでは、ジェイクの活動のサポートを任され、彼がどうしてもやりたかったプロジェクト<ミュージック イズ グッド メディスン=音楽は最高の処方箋>というNPOの立ち上げに着手しました。 彼は4歳からウクレレをはじめてウクレレ1本で世界に飛び出した。 自分ができたんだからみんなにもできるよ。という思いを子供達に伝える活動をしたかったんですよ。 素晴らしいことで私も気持ちが入りました。 でもNPOを立ち上げるのは簡単でも、継続することは本当に難しいということがわかりましたね。」

 

本当にやりたかったことが掴めるかもしれないチャンスが巡ってきた!Mitsue Varley (ミツエ・ヴァーレイ)

 

本当にやりたかったことが掴めるかもしれないチャンスが巡ってきた!

Mitsueさんのやりたいことは、やはりハワイの観光業。 そして、日本とハワイを繋ぎながらハワイの役に立ち、恩返しをし続けることと改めて気がついたそうです。 そして、独立し自分のできることをやっていこうと決めた。 そして、1年も立たない頃に、ハワイツーリズムオーソリティ(ハワイ州観光局)の4年に1度の入札コンペに参加できる機会が巡ってきたのです。

「ハワイ州観光局は、日本に向けての観光促進を担う会社をコンペで選ぶんです。 それが、ハワイ州観光局日本支局(HTJ・ハワイツーリズムジャパン)です。 任期は4年間で、これまでは日本の最大広告代理店が2期 8年間に渡り、その任務を担ってきていました。 そして、次の期のための入札コンペが行われることになり、私たちもハワイに住んでいる日系人として参加することを決めたんです。 ハワイに住んでいる3人です(苦笑)。 これまでの会社は日本最大の広告代理店、そして、毎回入札に参加して最終選考まで残るのは日本の有名な広告代理店の方々です。そんなところにハワイに住む若輩 三人衆で挑むことを決めて挑戦したんです。そして多くのメンター・アドバイザーに助けられました。」

「毎日マクドナルドに集合して打ち合わせをして、書類提出直前にはキンコーズに行って大量のコピー、100ページ近い書類を5部提出なんですよ。 ノミネートした会社は18社、そこから書類選考で8社に絞られ、さらに4社まで絞られました。 その4社に残ったんです。 もう嬉しくて嬉しくて。 そして、最後は1社ずつハワイ州のお偉いさんの前でプレゼンテーション。  うち以外は全て一流広告代理店。 そこにハワイ在住の若輩の私たち。 プレゼンテーションには3人で行って、もうめちゃくちゃ緊張しましたが、なんと私たちが選ばれちゃったんです! もう嬉しいなんて言葉には収まらないくらい嬉しかったです。」

著者は、なんだかドラマのサクセスストーリーを観ているような感覚で彼女の話しを聞いていた。 そして、 選ばれた理由は何だったと思いますか?と聞いてみた。

「ハワイと日本の架け橋になりたい思いは1番強いし、ローカルと日本人のチームだったんで十分に準備もしたし、それなりに自信ありました(笑) プレゼンルームに入る直前に思いを固めたのは、この4社の中で私たちが1番ハワイを愛しているし、パッションだけは絶対に負けていない。 と、なーんてかっこいいこと言っているようですが、本当にそうなんですよ。 私たち4人ともそこだけは誰にも負けない自信がありましたからね。 かっこいいでしょ?(爆笑)」 と笑顔で答える彼女に、もう返す言葉はありませんでした。本当にかっこ良すぎです! それから11年間、その任務を続けている。 そして、2022年末に再び入札コンペが行われ、そこでも選ばれ、向こう5年間の権利を獲得。 過去に1社がこれだけ長い期間を務めたことはないそうです。 これは一つの歴史と軌跡を残した快挙です。

「ハワイと日本の間に入り、そのバランスを取ることに10年かかりました。 今でも完璧ではありません。 でも10年前を思い返し、確実に進化成長してきた自信もあります。 せっかくいただいたステージです。 最後の最後まで全力で働きますよ!(笑)」

 

本当にやりたかったことが掴めるかもしれないチャンス Mitsue Varley (ミツエ・ヴァーレイ)

 

ハワイの爽快感が大好き。そしてハワイはバランスの良い生活ができるところ。

「朝起きて軽くストレッチをしてから、シャワーを浴びてオフィスに行きます。 毎日オフィスを出るのはだいたい9時頃ですかね。 帰宅したら、ビールとTVの一息時間(笑)。 日本での商社OLの時より仕事してますよ(苦笑)。 ハワイの好きなところは、やはり自然に恵まれた土地です。 表現しようのない爽快感。 みなさん同じだと思いますが本当に気持ちのよいところですよね。 そして、色々な意味でとにかくバランスの良い生活ができる場所だと思います。 バランス良い生活がでいることは人生を豊かにできるところに直結すると私は思います。」

 

夢は年を取ってもいつも何かに頑張っていて常に前を向いて生きている女性になること

「ハワイには輝いている女性がたくさんいらっしゃいます。 70歳でも80歳でも本当にお仕事もしているし、好きなことや趣味にも精力的だし、いつも前向きに自分のやりたいことを頑張ってやっている。 憧れるし見習いたいといつも思います。 最近、今までの私は自分中心だったなと感じます。 主人は毎日言うんですよ。 “I’m so happy” って、別に尋ねている訳でなく、独り言のように呟いてるんですよ。 ちょっと変な人?、大丈夫?って(苦笑) でも私は主人をハッピーにするためにいつもちゃんと努力してきているので主人がハッピーだったことも知ってます(笑)」 Mitsueさんと一緒にこのハワイの土地で生きられていることが、ご主人にとって本当に幸せなんだろうなと感じ、それはMitsueさんも同じなんだと、彼女の笑顔から伝わってきた。

「あと、少し仕事以外の趣味を増やして行きたいと思っています。 ハワイアンキルトも再開したいし、コロナ禍にデビューしたゴルフも頑張りたいし、もっと旅行にも行きたいし、できればアダルトスクールとか行って、もっと違うことも学びたいです!(笑) やりたいことがたくさんあって時間の使い方を考えているところです。」 と彼女の好奇心は全く衰えることがない。

「これからはもっと周りの人のために生きていきたいと最近すごく思うようになってます。 両親・家族・旦那様・・・。 年齢的なものもありますが、誰もが同じような気持ちになってくるものですよね。 でもね、やっぱり私はこれまで自分中心でやりたいことをやってきた。 周りの家族はそれを受け入れ応援するよ。 としか言えなかったんだろうなあって。 だからこれからは家族のために生きたい。 そんなことを最近本当によく感じています。 これが私の今の夢かもしれないです。」

きっと彼女はこれらの夢も実現することでしょう。 著者がここまで話を聞いた上で感じた確信です。 これからの時間をさらにハワイと日本のために、家族のために、彼女のやり方で常に前を向きながら生きていくことでしょう。 期待しながら応援し見続けていきたいと思いました。 そして、5年後、10年後に、この話の続きをまた聞いてみたい。

 

ハワイ進出した実現者からのアドバイス Mitsue Varley (ミツエ・ヴァーレイ)

 

[ハワイ進出した実現者からのアドバイス]

これからハワイライフを希望する人へのMitsueさんからのアドバイスは、「ハワイに来て、後からがっかりして欲しくないから言います。 ハワイは南の楽園パラダイスですが、アメリカです。日本じゃありません。 観光で来るのと住んで生活するハワイとは別物です。 ビジネス観点なら商習慣や価値観も違いますので判断基準も違います。 特にビジネスは日本人の価値観で真っ向勝負して勝てる場所ではありません。 とにかく、違うのです。 そのことだけは本当に真摯に受け止め理解してから行動してほしいと思います。 がっかりして欲しくないから・・・。 あと、英語は勉強してください。 それからできればハワイのコミュニティに入ってください。 これが私からのアドバイスです。 そして、たくさんの日本人がハワイに来てほしいです。 移住や永住は考えなくて良いと思います。 結果そうしたくなったらそうすればいい。 でも、もっとハワイにきて本当のハワイをもっと知ってほしいと思います。」



Mitsueさんのアドバイスも他のハワイ進出実現者とほぼ同じだった。 つまり、日本人でハワイ移住を実現した人たちからのアドバイスは基本的に皆同じなのだと気がつきました。 ただ彼女のやってきたことの話を聞いた上でのこのアドバイスにはさらに説得力のような重みを感じた。

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