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[あなたのハワイ進出の第一歩]ハワイと日本で、仕事も遊びも。

ハワイでウクレレに出会い、生き方を見つめ直し、世界一のウクレレ屋さんを目指す!

ハワイで世界一のウクレレ屋さんを目指す!西元 健一

[ハワイ進出した実現者インタビュー]
Kenichi Nishimoto (西元 健一)
ウクレレぷあぷあ 代表

 

シェラトンワイキキに店舗を構える「ウクレレぷあぷあ」のオーナー Kenichiさんは、ハワイ在住36年になるハワイ移住実現者の大ベテラン。 とにかく、サーフィンがしたくてハワイに来たのが、ハワイ生活の始まり。

「僕は1989年にハワイに来ました。 サーフィンがしたくて・・・(笑)。 高校生の時の先輩がサーファーで、たまたま連れて行ってもらったんですけど、完全にハマっちゃったんですよ。 “サーフィンのゴールは、やっぱりハワイだ!” なんて思って、21歳の誕生日はハワイで迎えてました。 学生ビザを取れば5年間はいられるらしいと聞いて、一人で留学斡旋業者さんのところに行って、学生ビザをとってハワイに来ちゃいました!」 と話すKenichiさんは、本当に笑顔が似合う、そして、いつも笑顔を絶やさない体の大きいおじさんという感じでとてもチャーミング。

「語学留学として学生ビザを取り、学校とサーフィンの毎日。 いや、学校じゃなくて海・・・(笑)。 そして、ハワイに来て2年目にグリーンカード抽選プログラムができ応募したら、なんとグリーンカードをゲットしちゃいました! 周りの友人はみんなハズレ、僕ともう一人が当選しちゃいました。 なので、学校は即やめ! だってビザのための学生だったので、グリーンカードが取れたら必要ないですからね(笑)。 早速、仕事を探してワイキキのラーメン屋さんとお寿司屋さんで働き始めました。 時給に加えチップももらえるし最高でした。 ビザの心配から解放されて、仕事もできて、毎日サーフィンという生活は、当時の若い私にとって本当に最高でしたよ。」

 

サーフィンがしたくてハワイに来たのが、ハワイ生活の始まり

 

気がついたらハワイで起業!?

「2年くらい経った頃、日本の知り合いからハワイで “◯◯◯を買って、日本に送って欲しい” と頼まれることが多くなってきたんですね。 そこで、仕事をやめてワイキキにオフィスを借り、ハワイで仕入れたものを日本に送ることを仕事として始めたんです。 サーフブランドのTシャツ、アロハシャツ、車の部品とか、一番売れたのはハワイアンジュエリーだったかなぁ。 今、振り返ってみると、これが私の起業でしたね(笑)」

「ある日、日本から遊びにきていた友人家族を、たまたまウクレレ工場の見学に連れて行ってあげたんです。 そのオーナーさんが、ウクレレ工場の説明をしながら、ウクレレ作りについても熱心に話してくれて、自分で作ったウクレレで演奏をして歌を聞かせてくれたんですね。 そしたら、友人の奥さんが涙を流しながら聞いていて、僕もその歌とオーナーの人柄に完全にやられてしまい、超感動しちゃったんですよ。 この時、決めたんです! この人のウクレレを売りまくろう!って。」

このウクレレ工場とは、今ではハワイ発で世界を代表するウクレレメーカーのKoAloha(コアロハ)。 そして、ウクレレ・歌・人柄に惚れたという人が、コアロハ創業者のアルヴィン・オカミさんだった。

 

ウクレレ屋さんになることを決めた。 ウクレレ ぷあぷあ

 

ハワイから日本への雑貨輸出業から、ウクレレ屋さんに

Kenichiさんは、早速ウクレレの販売を始めた。 そして、時代はまさにインターネット販売の時流。 ちょうど、Yahoo!オークションの波もあり、会社の売上も好調に伸びていった。

「日本からの旅行者が、いつしかうちのオフィスを訪ねてきてくれるようになったんですね。 オフィスといっても、すごく小さなスペースで、そこには商品在庫も山積み。 訪ねてこられても2人くらいしか入れない・・・(苦笑)。 本当に申し訳なさすぎだったんですが、だんだんオフィス前に人が並ぶようにまでなってきて嬉しかったですね。 ある日、日本ウクレレ協会の会長さんがオフィスを訪ねてこられて、ウクレレを買いにきてくれたんですよ。 この時は本当に嬉しかったなぁ! その頃に僕はウクレレ屋さんになることを決めたんです。 これが、“ウクレレ ぷあぷあ” の原点ですね。」

 

仕事もプライベートも充実した幸せなハワイライフの日々

 

苦境のワイキキで、「ウクレレぷあぷあ」第1号店を開業

ウクレレビジネスが順調に成長してきた矢先に、アメリカ同時多発テロ事件が起き、ワイキキも観光客は誰もいないゴーストタウン化。 そんな時に、ワイキキのあるホテルから声がかかった。

「同時多発テロの影響でワイキキは誰も歩いていない状況の中、今でも忘れません。 ワイキキのパシフィックビーチホテルの人が来て “うちのホテルでウクレレ屋をやらないか?” と誘ってくれたんですよ。 驚きと同時に嬉しかったですね。 しかも、最初のうちは家賃も免除していただき、 “ウクレレ ぷあぷあ” 第1号店がオープン! あれから気がついたら、もう25年、感謝しかないです。」

それから、ウクレレぷあぷあは順調に成長し、ハワイの中でもウクレレ屋さんとして有名になっていった。 そして、Kenichiさんは結婚もして、2人の娘さんと1人の息子さんにも恵まれ、仕事もプライベートも充実した幸せなハワイライフの日々だった。

「この時もサーフィンは毎日やってましたね。 上手くはなれなかったけど(笑)。 とにかくサーフィンは特別! 僕の人生そのもので、あの気持ち良さは理屈じゃない。 もちろん子供たちにも教えました。 娘たちは7歳くらい、息子は3歳くらいから。 すぐに僕よりうまくなりやがりました(爆笑)」

なんと、Kenichiさんの3人のお子さんは、全員がプロサーファー。 しかも、かなりの腕前。 娘さん2人は日本プロサーフィン連盟(JPSA)の試合に出て、デビュー戦でいきなり二人揃ってプロ合格。 あのROXYがスポンサーをするROXYライダーの西元エミリさんと西元ジュリさんです。 末っ子長男のケニー・ミロ・西元くんは若干15歳で、ハワイの老舗サーフブランドのタウン&カントリーがフルサポート。 7歳の時からノースショアの大会では常にチャンピオン。 現在はハワイのサーフィン連盟のオアフ島1位でナショナルコンテストへの出場権も得ている期待の若手サーファー。

ハワイ生活30年以上のKenichiさんに、ずばりハワイの好きなところは?と聞いてみた。
「そうだなぁ、 “風” です。 ハワイの風が大好きです。 空気・自然・風、そして、鳥のさえずり、これが僕のハワイの好きなところ。 ハワイの風を感じている時が僕にとって充実する時間です。 今、気がつきましたけど20歳でハワイに来た時から変わっていないですね。 僕、ハワイの風が好きなんです。」

 

3人のお子さんは、全員プロサーファー

 

今の夢は、「世界一のウクレレ屋さん」になること

「20歳でサーフィンがしたくてハワイに来て、気がついたら36年。 今の僕の夢は、ウクレレぷあぷあを世界一のウクレレ屋さんにして、ハワイに恩返しをしたい。 教える・売る・作る・修理する、ウクレレをただ売るだけじゃなくて、ハワイの文化やアロハの精神をウクレレを通して世界に広めていきたいです。 そして、世界一のウクレレ屋さんにします!」

ウクレレビジネスが徐々にうまくいくようになってくると、日本の人とも仕事をする機会が増えてきた。 その経験の中で、Kenichiさんは日本のビジネスの常識や厳しさ、マナーなどを教わったと言います。

「日本に商品を間違えて送ってしまったんです。 そしたら、ひどく怒鳴られた。 僕のミスに対しての姿勢が、ハワイのノリだったんですね(苦笑)。 怒鳴られたこちらがびっくりしちゃいました。 “え? そんなに怒られるの?” ってね。 だってハワイでは日常茶飯事に起きていること。 他にも書類の書き方や作り方などでも怒られましたね。 “こんな書類はありえない!” って。 こうして僕は日本の人たちにビジネスへの姿勢などを教えてもらったんです。 最初は本当にびっくりしたことを今でもよく覚えてますよ。 ハワイの常識は日本には通用しないんだなって。 でもその後にハワイの常識というか、単に僕の甘さだったなぁって思えるようになりました。 でもハワイでは怒られないし、僕の書類でも通用するのも事実だったんですけどね(笑)」

 

夢は、ハワイで「世界一のウクレレ屋さん」になること

 

稲盛さんと出会わなかったら、ウクレレぷあぷあは潰れていた

「そんな僕でもビジネスは順調だったので、完全に調子にのっていました。 そもそも仕事に対して甘かったんです。 そうしているうちに徐々にビジネスが下降し、もう限界だ、存続できないかもしれないという状況になったんです。 でも原因は自分が知ってました。 仕事よりもサーフィンを優先。 ハワイではよく聞くフレーズじゃないですか、波がよければ学校にもいかないし、仕事も休んじゃうみたいな・・・。 僕はまさにそれでした。」

「このままでは本当にやばい。 本気でそう感じて、ハワイの経営者のために勉強会を行なっていたDojo RITAH(道場利他)に入れてもらったんです。 このDojo RITAHは、京セラやKDDIの創業者で、日本航空も再建した稲盛和夫さんの人生や経営の哲学を学び、自分の会社で実践するための、まさに経営道場。 ここで経営者としての勉強を始めたんです。」

「そして、入会して勉強を初めて1年後に、なんとコロナによるパンデミック。 もしDojo RITAHに入っていないままパンデミックを迎えていたら、今のウクレレぷあぷあは間違いなく潰れていたと思います。 実はもうサーフィンは3年くらいしていません。 サーフィンがダメじゃなく、今の僕はサーフィンをしている状態じゃないんです。 でも将来、必ずまた家族みんなでサーフィンしますよ!」

こう話している時、真剣な顔つきに変わったKenichiさん。 自分自身を客観的に見つめ、自分に厳しく、覚悟と自信を持って、人として正しい経営者になろうとしている男の顔だった。 彼なら間違いなく、近い将来に、この試練を乗り越え、「世界一のウクレレ屋さん」という夢を実現させ、サーフィンも楽しむ。まさに仕事も遊びも充実したハワイライフを実現させることでしょう。

 

仕事も遊びも充実したハワイライフを実現

 

[ハワイ進出した実現者からのアドバイス]

これからハワイライフを希望する人へのKenichiさんからのアドバイスは?

「アドバイスなんて僕にはできませんよ。 お金持ちの人ならご自由に、ご自身の思うようにやっていけると思いますしやるでしょう。 でもそうでない方に言えることは、 “厳しいですよ” その一言です。 まず、言語や文化の違い。 言葉で言うと一言ですが、甘くない。 だから、日本との違いには謙虚な姿勢で真剣に取り組まれることをお勧めします。 すみませんこんな言い方しかできなくて・・・。 あっ! アドバイスありました! まず最初にWAAPに入り、そしてDojo RITAH に入ってください。 僕からの一番のアドバイスです(笑)。 言葉や文化の違いでもなく、それ以前に必ず役に立つはずですよ。」



また笑顔に戻り話すKenichiさん。 彼の言葉の奥には、人として何が正しいかという人生や経営の哲学をしっかり学べば、言葉・文化・商習慣の違いの壁にも対処できるんだという確信と自信。 そして、それだけ厳しい中に飛び込む際に一番のアドバイスになると本気で思っていることが感じられた。

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詳しくは>ハワイ移住・起業の第一歩 WAAP

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