[ハワイ進出した実現者インタビュー]
Makoto Uchino (内野 亮)
タレント
TV番組「ハワイに恋して!」のナビゲーター、ラジオパーソナリティ、ハワイイベントでのトークショー、地方を巡りハワイの啓蒙活動、そして執筆活動など、ハワイを伝えるタレントとして人気のMakotoさん。 最初にハワイに来た目的は、もっとサーフィンが上手になりたいというサーフィン修行だったそうです。
「僕がサーフィンをするためにハワイに来たのは20歳の頃。とにかくサーフィンが上手くなりたかったんですよね。 当時のハワイに、日本人の若者がサーフィンをしに来ている人はまだほとんどいなかったと思いますね。 そして、英語も話せない小僧が頼れる人は誰もいなかったんですよ。」 そう語る彼から、単身でのハワイ生活のスタートは決して楽しいだけのものではなかったのだろうと感じられた。
「毎日、海に入りサーフィン一色の日々でした。 でもハワイの海の中はまだまだ閉鎖的。 ローカルサーファーたちは若輩日本人の僕には非常に高い壁に感じられたのも事実でしたね。 それでも毎日サーフィンをしてると、同世代のローカルの友達が増え、仲良くしてもらい、ある時、勉強もしてみたくなった。 いや、やはり勉強もしなくちゃ! って感じで、とりあえず、英語の学校に行き始めました。」
サーフィンだけの毎日からハワイの大学生に
「英語学校の先生から、シャミナード大学を勧められて学生生活がスタート。 想像以上に楽しかったですね。 でもハワイ、いやアメリカの大学は、入ることよりも卒業することがめちゃくちゃ大変。 日本とは逆なのかなぁ? とにかく宿題の嵐! 到底終わらない(笑)。 毎日勉強の日々で、これまでのサーフィン一色の生活から逆転しちゃいました。 でも楽しかった!」
ハワイの大学生となり、勉強づけの日々ながらサーフィンもちゃんと毎日していたというMakotoさん。 サーフボードよりも鉛筆を持つ時間の方が長くなったのは事実だったようだ。
ハワイで学生からホテルの営業マンに!
「どうにか無事に大学を卒業でき、ハイアットに就職しました。 セールスマネージャーとしてハワイでの社会人をスタートしたんです。 いわゆるホテルの営業ですね。 しかもなんとカウアイ島に勤務! この1年は若いエネルギー満タンの僕には辛かったですね(苦笑)。 だから毎週休みにはオアフ島に遊びに行ってましたね。 給料はそこで全て使い果たす(笑)。 それでもオアフに行きたかったですね。」 おそらく当時のカウアイ島は、今以上に自然一色で、若い彼には刺激がなさすぎたのでしょう。
「本当にちゃんとお仕事はしました。 でもね、仕事をすればするほど気がついたんですよ。 リゾートホテルは仕事をするところではない! 遊びに来るところだと。 ある日、休みの日にオアフ島のディスコで踊って遊んでいたら、日本の女性誌の方に声をかけられたんですよ。 あのJJの編集の方でした。 今でもはっきり覚えています。 そのご縁をきっかけにコーディネーター業がスタートするんですが、当時は頼れる人は誰もいませんでしたので、大学の先生に相談し、会社を作るにはどうすればいいのかを聞き、一人でハワイ州のオフィスにいきました。 会社登記の手続き書類を渡され、何が何やら!? となりながらもどうにか会社を設立。 これが僕の独立、コーディネーター業のスタートでした。」
サーフィン修行から大学生となり、ハワイのホテルに勤務、そして独立。 今この話を聞くと、なんともドリームライフのように聞こえますが、おそらく当時のハワイでこの道を歩くには様々な困難を乗り越えてきたのだろうと想像できます。 でも、彼の持つピュアな思いとご縁を大切にする姿勢、そして、何よりハワイに対するリスペクトの気持ちがあったからこそのストーリーだと感じました。
コーディネーター業の始動! そして・・・
「当時は、日本の女性誌が本当にたくさんハワイのことを記事にしたくて、僕も年間で60誌以上のコーディネーションをお手伝いさせていただいてましたね。 そして、また気付いちゃうんですよ(笑)。 ハワイって住んでいると生活になっちゃって、正直ハワイのことを何も知らない。 でも観光目線で見て探してみると、ハワイは本当に素晴らしいところなんだなあ! 僕は本当にハワイのことを何も知らなかったなと!(笑)」
「そして、またまた気付いちゃうんですよ! コーディネーションをして様々な情報を提供するんだけど、雑誌にはそれぞれターゲットや方向性があるんで、僕が良かれと思って提供した記事がボツにされることがある。 確かに当然。 だったら僕が見て選んで日本に届けたい情報を、自分で発信すればいいんだ!ってね。 気付いちゃうんですね(笑)」
ここまで聞いた著者も気付きました。 Makotoさんはピュアなだけでなく、冒険心や開拓心といった、ある種のベンチャーマインドに溢れる方なのだと。
ハワイに呼ばれ、ハワイに生かされた!
「ある日、ふっと思ったんです。 そうだ、ラン・ボーのところに行ってみよう! 早速行ってみたら、すぐに見てくれたんですよ(笑)。 事前予約なしで飛び込んで、すぐに占ってもらえるなんて、今じゃ考えられないですけど。 なんか僕の直感が感じたんでしょうね。 ラン・ボーの呼ぶ波調を!(爆笑)」 ラン・ボーさんとはハワイの有名な占い師です。
「そこで言われたなんですよ。 “ムービースター!” って!? わけわからんでしょう(笑)」
「でもね、これが実は僕が裏方から表に出て行くきっかけを作ってくれたんですよね。 そのあとすぐにTVの話がきて、以前の僕だったら、“いやいや僕は裏方なんで” と間違いなく断ってましたが、その時には、“はい。ぜひやらせてください!” って答えてたんですよ。 確かにラン・ボーの言葉は僕の中に残ってましたね。 そこから今の活動のスタイルが出来上がっていったと言う感じです。 今となっては本当にラン・ボーには感謝です。」
おそらく、Makotoさんは、幸運を引き寄せる力や直観力もすごくあるのでしょう。 でも何よりもハワイが彼を引き寄せ、今のMakotoさんに何かを託しているのではないか?とさえ感じてしまいました。
「今は、日本にいる時間の方が長いですね。もうハワイは物価が高すぎて!(爆) いやいや、やはり仕事が日本中心に動くのと親の面倒をみる年になったんで、これまでの恩返しも含めて、日本で親元にいる時間を多くとっています。 1年のうち、日本に8ヶ月くらい、 ハワイに4ヶ月くらいの感じですかね。」
WAAPとの出会い!
「WAAPのチームメンバーに参加させていただくことになりましたが、WAAPは僕がこれまで感じてきたことと本当に同じ考え方で、これまでになかったサービスとして共感しました。 日本人が旅行者からもう1歩踏み込みたい時の“踏み台”になれるといいなぁ。 この“踏み台”を利用することで、より安全に、より前に、より高く飛べるはずだよ。」
「そして、これからのハワイで生きる日本人を一致団結させるような、昔の移民の方々がやってきた生き方を、この時代にもう1度思い返し、日本とハワイのより友好な関係作りに間違いなく役立つだろうなと感じています。」
[ハワイ進出した実現者からのアドバイス]
これからハワイライフを希望する人へのMakotoさんからのアドバイスは、「新しいモノや情報を追いかけると、ハワイの本当の良さを見失ってしまうと思います。 ハワイは確実に着々と発展進化しています。 でもハワイのすごいところは“変わらない心を持ち続け、大切にしているところ”だと思います。 資本主義の時代の潮流ではない、ハワイの持つ本来の心・空気の潮流を感じてもらいたいです。 そして、その潮流の中で生きるためにハワイに来ると、きっと幸せな人生をハワイの神様たちがプレゼントしてくれるのではないかと僕は思います。 とにかく、ハワイそのものを楽しんでください!」
Makotoさんのインタビューを終えて感じました。 この人は本当にハワイの神々に呼ばれてハワイに行き、ハワイに生かされて、そして、ハワイのために生きている人なのではないかと。 きっと、これからもずっと彼はハワイのために生きていくことでしょう。 我々もMakotoさんを頼りにしていきたいと強く感じました。
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詳しくは>ハワイ進出の第一歩 WAAP